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----------------------------------エフティヒアはしあわせ、ルルーディは花。日々きらめくしずくを集めて、それぞれの花を育てましょう hapiness*flowers. making our own flowers!

日本語のちから と今日のらくがき
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みんな、どうやって音楽とつきあっているのでしょう。

部屋でかけるイージーリスニングやピアノ、クラシックなどの歌詞のないものは別として、私はあまり音楽を聴くほうではありません。

大きな理由として、好きなアーティストをひたすら聴くのが性に合っている私としては、そのひとたちが新曲を出さないことには聴くものがないからです。人に勧められたものがあれば別だけど。

旧いものを聴きつづけるのは避けます。
なぜなら、聴いていた時期を閉じ込めておきたいから。

新曲(最新のものとは限らない)をMP3に入れたら、たいていワンシーズンひたすら聴き倒し、季節が変わる頃ちょうど飽きてくる(耳に馴染みすぎて感情を伴わなくなってくる)ので、やめる。
そうしないと、あとでそのアルバムなりを聴きかえした時、感情を揺さぶられなくなってしまうから。
ことに歌詞付の音楽は、感情を伴わなくなってしまったら自分の中で死んでしまったのと同じだと思う。

そんなかんじなので、しょっちゅうMP3がオフシーズンとなる。本当はいつだって音楽といたいのに。(その方が外界の攻撃を受けないし、よけいなことも考えずに済むし、疲れない。)


さて、今日ひさしぶりに日本のアーティストのアルバムを入れた。
そしてしみじみ感じた。音楽にのせた日本語の素直なやさしさ。

この頃はずっと洋楽を聴いていたので、音に乗って流れている日本語はこんなにもじわりじわりと感情にしみてくるのだったかと、ちょっとうれしくなった。

なぜだか歌詞を聴くと、人を描きたくなる。


いくら英歌詞を理解できたとしても、それは脳が理解しているのであって、感情で理解できるほど私は英語に親しんではいないのだ。

否が応でも、からだじゅうにふってしみこんでいく日本語の歌詞。
歌詞付の音楽からしばらく離れていたけれど、たまにはこんな、単純なやさしさをあびるのもいい。

そしてやっぱり、歌詞はイヤフォンをとおして聴くのがいいし、音楽だったらスピーカーだな。



erico
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『戸隠神社』
Togakushissa・in Nagano

DSCF4327.jpg @宝光社 DSCF4334.jpg


先日、戸隠神社に行って来た。
ここは数年前からずっと行きたいな~と思っていた場所。
色々タイミングが合い、ようやくお呼ばれされた気がしました。

7月初旬の長野です。緑がとーってもきれい!!
早朝で、まだ人があまりいなかったこの場所。しーんと静まりかえり、澄んだ空気が流れていた。


DSCF4346.jpg @中社近辺

中社でお昼休憩。もちろんおソバです。

DSCF4357.jpg @奥社参道 DSCF4358.jpg

アメリカ・カリフォルニアのREDWOODを見てからずっと、そこが私の大好きな場所だった。
でも!!!今回、戸隠に行きこの杉並木を見て、こんなに素敵な場所が日本にあったことに感激!!
海外からのお客様が来たら絶対におすすめの場所です。


DVC00526.jpg @九頭龍社

30分ほどの杉並木道を進んでいくと、辿り着くのが奥社です。
そこには九頭龍さんがいらっしゃいます。
暑かったし、そこそこ激しい道のりだけれど、年配の方もえんやこらと辿り着いた姿を見ると、
みんながんばってここまで来てすごいな~とそれにもまた感動する。

今回気づいたこと。

パワースポットと呼ばれる場所、人々の期待や願望をたくさん注ぎこまれる場所・存在には
その理由があると思います。
けれど、人々の思いが集中的にあまりにも強く・多くなりすぎると、その場所の波動も存在(木々)も少々お疲れが出てくることもあるよう。
おもしろかったのが、ほとんどみんな一直線に同じ場所・ルートを流れるように見て、
それで次の場所へと行ってしまうこと。
すぐ近くにあるのに(いるのに)、人の関心をひかず、このルートに入っていない場所には、人の気ではない、自然の気が流れているよう。
今回一緒に旅した方がつぶやいた一言が心に残った。

「さっきの木は人の気をとても感じたけれど、この木は自然って感じがして気持ちいいね」

それがいいとかわるいとかではなく、やっぱりそういうのってあるんだなと思った。


Tono

ロンドン引力
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こんなにもロンドンに惹かれるのはどうしてだろう。


昔から、気が付いたら、イギリスが好きだった。
それは本当に、紅茶だったりカントリーサイドの風景だったり、見聞きしてきたものからの憧れの感情だったのだろうか。いまでもわからない。

5年前の春に訪れた、初めてのイギリスは南イングランドの海の街、ブライトンだった。そこで目にするものはすべてが信じられないかわいさで、私を魅了した。道が、花が、カップが、標識が、いちいち素敵だった。

しかし初めてロンドンを歩いた時、感じたのは興奮や感動ではなく、むしろ冷静で、地に足がついたような、安らかな喜びだった。それは、もしかしたらただ単に、ブライトンで英国の感動はし尽くした後だったからなのかもしれない。あるいはブライトンが小さな街だったから、都市に出られてほっとしたのかもしれない。

だけど、私がロンドンを好きなのは、他の都市を感じるのとは、やっぱりなんだか違うのだ。

たかが数か月住んだだけで、ロンドンの、まして英国の、なにがわかるわけではないのは重々承知しているし、きっとたくさんの苦労をして、何年も住んでいる方たちの立場からしたら、私のいうことなんてなんでもない。

だから、私はロンドンを語りたいのではなくて、ロンドンが語っているものはなんなのか、もっと知って、受け取りたいということ。

ヨーロッパの中では格段に大きく、しかし東京に比べたら小さな都市。
好きなものをあげればきりがない。

公園のグリーン、柵越しのプライベートガーデン、優雅なティールーム、簡素なカフェ、テムズ川(セーヌよりもテムズに惹かれるのは、単純に広々としているから。東(ひがし)東京に流れるそれに近いからだと思う。)、マーケット、テートギャラリー、どこにでもただよう重厚感、独特の影のある空気‥。

だけどそんなものたちにはたぶん、あまり意味がない。
惹かれることに理由はないもの。

好きなところをあげて、ああ、だから好きなんだ、と素直に納得できるような論理的な感情(これはパラドックスだ)は、あまり信用できない。

なんだか知らないけど、どうしようもなく惹かれるんだという、もどかしくてすっきりしない思いの方が本当なんだと、思ったりする。

そして、ロンドンは私にとってそういう土地なのだ。

(とはいえこんなふうに、ロンドンに惹かれる方々はきっと世界中に大勢いるだろう。)


そのうちのひとりである私は、きっとこの先何度訪れても、満足して帰ることはないのだろう。





erico

世界のカフェタイム Ⅱ
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第二弾 U.K.

ブルーグレイにかすむ、しっとりと美しい国から。
イギリスだからティータイムですね。
ミルクティにビスケットで、どこでもお茶をします。



erico
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